久々の軽井沢でスマホの暗証番号を忘れる

前回の更新からだいぶたちましたが、手術後はいたって元気で、せっかく痩せたのに体重も戻り気味です。

軽井沢は8月に行きましたがそれ以来半年ぶりです。

息子の大学受験は、浪人決定です。(泣)

合格したところもあったのですが、本人の強い希望で浪人となりました。

行けばいいのに。。。

 

もう一人暮らししている友達もいるので、遠慮せず今年は秋くらいまでは息子をおいて軽井沢きます。

さてこの前軽井沢に来た早々、息子の予備校のコースの席を抑えるためにネットで申し込みをすることになりました。

携帯から予備校の申し込みサイトにアクセスするのに、携帯の暗証番号を打ち込まなくてはなりません。

番号の並び方は同じだけどいつもとちょっとデザインの違う暗証番号打ち込み画面を見て手が止まりました。

 

暗証番号わからない

 

一度分からなくなるともうどうやっても出てきません。

その時はたまたまそのサイトのパスワードを覚えていたので予備校の申し込みは出来ましたし、顔認証で携帯はひらくので一旦落ち着いて、思い出そうとするも、出てこない。(汗)

いつも手の動きを覚えていただけで、番号自体は忘れていました。

かすかに覚えている手の動きを再現しなから、5回ほど打ち込んでみたけど失敗。

そのあたりから顔認証ができなくなりました(油汗)

そして1分アクセスが出来ません、5分出来ません、1時間出来ません、と伸びていき、最後は8回失敗して8時間できませんに。(涙目)

10回失敗すると初期化になると聞いていたので、家に帰ってからいつもの環境で落ち着いて思い出してみようということになり、軽井沢ではデジタルデトックス(強制)となりました。

家に帰ってからやってみたものの、10回失敗しました。

もう初期化になる覚悟はできていたのですが、どうやら設定していなければ消去にはならないらしく、相変わらず8時間アクセスできませんが繰り返されるようです。

でももう思い出せないし、バックアップがどれくらいできてるかわからないけど、最低限はできてるだろう、メールはグーグルだから生きてるし、LINEとメモ帳がネックだけど、もう初期化しかない!(絶望)

初期化したら、バックアップをインストールし始めました。

数ヶ月前、iCloudの残量がいよいよなくなり、月100円ちょっとのオプションに入っていたのですが、それのおかげか、なんとほぼ完全に元通りになりました。(歓喜

情報強者のだんながそれを見て、すごい量をバックアップしてるね、と呟きました。

やっぱり情報弱者はそのへんけちってはいけないと痛感しました。

だんなには、容量を買ったら一生払い続けなくてはいけないんだよ、と非難の目を向けられて怯んだのですが、写真も消したくないしもう買う!と決断した過去の自分を褒めてあげたい。

容量買ってる人は多いと思うので、何を月100円ちょっとておおげさなとお思いでしょうが、我が家はその辺ケチなのです。(だんなが)

今回の教訓です。

1 情報強者は情報弱者がどれほどできないのかわかっていない。情報強者の大丈夫は絶対大丈夫じゃない。

2 情報弱者は金で解決。金を惜しむと突然普通の暮らしができなくなる。

3 携帯の暗証番号は現代生活の命綱。忘れることを前提に、すぐわかるところに書いておけ。

 

新しい暗証番号を設定するとき、私が好きなあることに関する数字を設定したのですが、設定しながら思いました。

前の暗証番号もこれだったわ。

 

手術

ついに手術が受けられる!

怖いとは思いますが、とにかく早く胆嚢を取って普通の食生活に戻りたい。

この時はインド料理のビリヤニとマックのポテトが食べたくてしょうがない。

初日はなんと4人部屋で一人、快適にぐっすり眠れました。

看護師さんによると眠れない人も多いんだとか。

手術の難易度にもよると思いますが、手術しないと普通の生活送れないですからね、まな板の鯉になれてよかった。

夕食は普通食、夜9時から翌朝7時までに経口補水液のOS1を一本飲み切る。

翌朝はすっきり目覚め、OS1を飲みながらリラックスし、8時半から手術着に着替え。

歩いて手術室に移動。

手術室ではスタッフがキビキビとスピーディーにすすめてくれるので、恐怖を感じるのも最小限でした。

あっという間に点滴から麻酔打たれて、寝たのもわからないくらいに落ちて、気づいたら病室のベッドの上。

紙マスクの上から酸素マスクをしていたのには驚きましたが、気づいてまたすぐ寝てしまったように思います。

手術当日の記憶はないです。

知らない間に同室に二人入院していました。

その日の消灯後にまた目を冷まし、なにやら両足首に血圧測るような圧迫しては弛緩する器具をとりつけられているのに気づきます。

まだ血圧測ってるの??

とにかく定期的にシュコー、プシューとなる音がきになっちゃってしょうがない。

看護師さんに、血圧測る装置外してくださいとお願いしました。

これは血栓予防の装置なんですけど〜、と予想外のお返事が。

私は血栓のリスクは低い部類のようなので、目を覚ました時に足を動かすようにしてくだいねと言われ、外してくれました。

ふ〜よかった。

翌日は昼前に導尿を外して自分でトイレに行けるようになりました。

導尿は残尿感が気持ち悪いとか、私の血栓予防装置のように外してもらったとか、かなり評判が悪いですが、たしかに残尿感は少しありましたが、我慢できないようなことはなかったです。

人によって我慢できないポイントは違いますね。

術後から翌日の昼くらいまでは強い鎮痛剤を点滴で落としていて、それが眠くてぼーっとして、辛かったです。

痛いときには自分でスイッチを押して入れられるようになっているんですが、私は全然いたくなかったので押すこともなく、時間がかかってしまったようです。

適当に押して消費すればよかった。

薬が切れてからは元気になり、本を読むこともできるようになり割りと快適に過ごせました。

全部で4泊5日の入院となりました。

傷はやはり腹腔鏡は楽ですね。

数日は咳をするのはつらかったですが、そのくらいです。

手術から7日で外の傷は完全に塞がったと思います。

痛みもかなりなくなっています。

ただ、初回は問題ないけど、二回目以降はどうしても癒着があるので大変らしい。

今回は執刀医がすごく当たりだったんだろうなと思っています。

女性の30代前半?くらいの美人で、有能感にあふれていて、気取らずいばらず、コミュニケーション能力も高く、気遣いもあり、肩で風をきって歩くかっこいい人です。

頼りになる!

とにかく女医さんが多くて、半分は女性でした。

最近はほんとに増えてるんですね。

お世話になった女医さん、みなさん優しくて有能で頼りになりました。

やっぱり医者って女性のほうが適正がある人多い気がする。。。

看護師さんたちも優しくて、すごくいい病院だったと思います。

今回は新人ぽい男性看護師もいて、がんばってて見ててうれしくなりました。

入院中辛かったことは。。。音です。

今回も前回も騒ぐ老人が2〜3人くらいはいて、夜中に騒ぐ人は一回しかいなかったけど、日中はまあでかい声でしゃべり続けています。

耳が遠いから声もでかくなっちゃうみたいだけど、補聴器をしてほしい。。。

看護師さんも優しいからたくさん話し相手になってあげるんだけど、耳が遠いからでかい声で同じことを何度も何度も話しかけていて、廊下に響き渡っていました。

音に弱い私にはけっこうつらくて、また入院することがあったら耳栓もってこようと強く思いました。

おもしろかったのが、うるさいおばあさんがいたのですが、余裕がある時間帯に新人男性看護師がおばあさんの話し相手になっていました。えらいぞ!

すると、おばあさんの声は半分くらいの大きさになり、話し方も穏やかになりました。

背の高いイケメンくんだったし、おばあさんうれしかったんだなあ。

騒ぐ老人てやっぱりさみしいのかな。

ほとんどのお年寄りは静かで、女性なんか用事がなければ自分のベッドから出ても来ないでぴっちりカーテン締め切っているのでいるのかどうかもわからないくらいの人がほぼ全てです。

どちらかというと若い人(私も含め)のほうがじっとしてるのが辛くて、ウロウロしてる感じでした。

手術から10日ほどたち、ほぼ普通の生活ができています。

もう健康に気をつけないといけないと痛感しました。

備忘録として長々と書いてしまいました。

軽井沢については8月後半にまた更新すると思います。

食事制限

昨日からの続き。

すっかり元気になって退院しました。

私はもともと胆石があるのは健康診断で分かっており、脂っこいものを食べるとズキッと、いわゆるさしこみがあることはありました。

詳しい数字は忘れましたが、半分以上の人はそれ以上悪化せずにそのままで、胆石がある人の内、2〜3%が将来胆嚢癌になる、とネットで見ました。

まあ癌はともかく、胆石が胆管に詰まる胆石発作になるといやだなあ。

特に海外旅行中にそんなのになったら一大事。

取ってしまいたい気持ちもあるけど、必要もないのにとるのもなあ。

と思っていました。

そんなとき胆石発作を我慢してしまって細菌が入り胆嚢炎になってしまい、胆嚢摘出を勧められ、これで少なくとも残りの人生を胆石発作の心配なしに生きられると晴れ晴れした気持ちになりました。

手術は怖いですが、すっきりした気持ちのほうが強かったです。

入院したときは、てっきりこのまますぐ腹腔鏡手術でさっさと取ってしまうと思っていたのですが、胆嚢炎になってしまったので腹腔鏡手術はリスクが高くなると。

2〜3ヶ月空けてからじゃないと腹腔鏡手術はできない、今すぐやるなら大量出血した時は開腹手術になると言われ、そこまで言われていますぐやる!とは言えませんでした。

先生の勧めに従い、2〜3ヶ月後の手術となりました。

しかしまた胆石が詰まるリスクはそのまま。

脂っこい食事が悪いのは分かっているので、食事制限したほうがいいですか!

と先生に聞いたら、いや〜普通の食事でいいですよ〜、と。

でも、手術までにまた詰まっちゃう人は50%だと。

それって先生の言うことを真に受けてほんとに以前と同じ食生活してた人が詰まってるんじゃないの???

看護師さんに聞いても、普通でよいと。

でも私の病院食は、退院までずっと消化易食という、油ものを避け、米は全粥。

これは食事を見て自分で悟れということか???

退院の日、先生に、手術まで病院食の延長の食生活にします、と言ったら、

 

それがいいです!

 

と先生が力いっぱい同意しました。

だったら最初からそう言ってくれればいいのに。

なんでなんでしょう、食事制限しろって言うと怒る患者がいるからなのかな。

ちなみに詰まっちゃったらどうなるのか聞いたら、

 

3ヶ月のカウントダウンリセット!と言われました。((((;゚Д゚))))

 

いや〜恐ろしい。食事制限がんばろう。

私が実践した食事制限は、米は全粥と普通の間くらい。

肉は鳥のささみと胸肉、たまに豚の赤身のひき肉。

油揚げもだめ、バターや生クリームは風味づけ程度まで。

揚げ物などもってのほか。

満腹にならない。

最初の一ヶ月は苦痛もなくできましたが、さすがに二ヶ月目以降は少し規制を緩めたりしてがんばりました。

こんな食事制限をしっかり守るなんて病気の今しか絶対できないから、ついでにダイエットもしました。

病気で3キロ痩せましたが、全部で7キロ痩せて学生時代の体重になりました!

また病気にでもならない限りもうこんなに痩せられないので、がんばってキープしていきたいと思います。すでに無理っぽいけど。

普通のダイエットと違って、食べたいとは思うけど、食べれないからしょうがない、とあっさりあきらめられてそんなにストレスはなかったです。

でも最後の一週間はなぜか、あと一週間つまらずいられるのか不安で、手術が終わったら食べられると思うと、我慢するのがつらくなってきました。

また3ヶ月なんて絶対嫌なので、気を引き締めてがんばりましたが、けっこう辛かったです。

さて、ついに三ヶ月たち、晴れて再入院です!

つづく。

二週間の入院

昨日の続き、救急から入院です。

四人部屋に担ぎ込まれ、とりあえず痛み止めを点滴でいれてもらいましたが、あまり効かず。

ないよりましくらいなので、翌日いっぱい痛み止めをお願いしました。

とりあえず最初の胃腸科から嘔吐が始まり、この頃は頻回で吐いていました。

胃液しかでないのですが。

夜は寝れたと思いますが、同室の方たちにはうるさくて申し訳なかったです。

でもこれが入院相部屋というものだと、今では悟っています。

翌日は苦しさはほぼなくなり、気持ち悪くて嘔吐だけは残りましたが、腹部超音波検査、レントゲン検査、MRI検査をしました。

そして翌々日に脇腹上部から針をさして胆嚢まで管を通して胆嚢内のものを排出する道を作りました。

((((;゚Д゚))))

体から管が出て透明のパックに中身を貯めると。

針を刺すのはものすごくびびりましたが、とにかく辛かったのでやるしかない!

おおきな機械を使いなから体の中をスキャン?しながら針を刺します。

最初に表面に注射で麻酔をします。

そして、見てないけど多分けっこう太い針をぶすっとやります。

表面を刺したときは痛かったですが、体の内部に入っていくと全然感じません。

肝臓胆嚢あたりは神経がないのか?

胆嚢まで到達し、恐らく針の内部にあった管を残しながら針を抜いていくときはひきつれるような痛みがあり、体に力が入ってしまいましたが、心配していたような苦痛はありませんでした。

管を入れている間はシャワーを浴びれません。

でもこれをやったらあっという間に元気になりました。

看護師さん達にすごく元気になったねーと言われ。

死にそうでしたからね。

もう元気になってしまうと、じっとしていられません。

点滴と脇腹から管をぶら下げ、しかもマスクをして、苦しくてぜいぜいいいながら、特に買うものもないけど売店のコンビニへレッツゴー!

外来の中を突っ切っていくのですが、皆様に私の胆嚢の中身をご披露しながら突き進みました。

このあと管は8日間ほどつけていた=8日間シャワーを浴びていない

のですが、その他はいたって元気でフロア内を徘徊しておりました。

毎日タオルで体は拭くのですが、やっぱり匂いは気になりましたね。

髪はベタベタで気持ち悪いし。

胆嚢の中身ですが、最初は赤いどろっとした膿が出て、それがだんだん色が薄くさらっとしてきて、最後は薄いピンクの水みたいなものになりました。

これが胆汁?

胆汁って◯◯◯の色の元だって聞いたことあるけど、フレッシュなのは全然違う。

8日ほどたってまた腹部超音波検査をし、胆管に詰まっていた胆石がはずれたのを確認して管をとりました。

その翌日か翌々日に退院となりました。

二週間近く、長いのは大変だったけど、読書しまくって好きなラジオをSpotifyで最初から聞きまくって、看護婦さんたちとも多少の雑談をして仲良くし、患者さんたちを観察し、楽しい入院生活でした。

でも、胆石はそのまま、またいつ詰まるかわからない。。。

 

つづく。。。

胆石発作

11月を最後に更新しておりませんでしたが、途中冬に一回1泊くらいで滞在したりはしました。

ネタがなくて更新はしませんでした。

だんなは月1で滞在していますが、息子が受験生なので私は全然いけません。

今年はしょうがない、来年からは軽井沢行き放題。。。と妄想しております。

浪人したらどうしよう。

 

さて我が家では年末年始あたりに、低温調理器を導入しました。

64度くらいで2時間くらい肉の塊を加熱してやわらかーいお肉を堪能できるのです。

食中毒は怖いので、ギリギリより2度高い温度にしたりしましたが、やはりドキドキしますが、おいしいです。

食中毒にはならなかったのですが、多分低温調理が原因で、私が胆石発作を起こすようになりました。

低温調理だと肉の脂があまりとけなくてたくさん食べることになるような気がします。

初回発作はあまり記憶がないのですが、二回目は明らかに低温調理を食べた直後に発作がきました。

一、二回目は30分で一応回復したのですが、二回目後気持ち悪さが2週間くらい続き食欲があまりありません。

その時はまだ胆石発作だと気づいていなかったので、いつもの胃の不調だろうと考えて放置していました。

三回目は天ぷらです。

このときはすでに胆石だと気づいていましたが、三回目も30分くらいでおさまるだろう、でもさすがに近々に病院行こうとは思っていました。

胆石発作、すごくつらいです。

普通は激痛のようですが、私は痛みに鈍感らしく、痛いというより苦しい。

めっちゃ苦しいです。

胃をぎゅっとおもいきり掴まれるような。

お腹を抱えて唸り声がでます。

3回目は健康診断の日で、朝食を抜き、検診後天ぷらののったお茶漬けをたべました。

食べ始めてすく苦しさが始まりました。

胆嚢はすでに限界にきていました。

それから家になんとか帰り、さすがに病院に行かないとだめだと気づき、だんなに帰宅してもらい、近所の胃腸科へ行きました。

はっきりいってそんな悠長なことやってる場合ではなかったのですが。

胃腸科で大学病院を紹介されたのですが、大学病院はちょうど医師の入れ替わり時間だとかで診てもらえず、でももう限界にきており、大学病院に救急車を呼びました。

それでちょっと離れた、地域の中核病院の救急に担ぎ込んでもらえました。

ほんっとに苦しかったですが、救急車には本当に感謝しかありません。

今は道で救急車が来たら、念入りに道のはじに避けます。

救急ではCTをとり、入院となりました。

長くなったので、つづく。